創業者の想い

創業者の想い

はじめまして、こうのとり株式会社の代表取締役である河野一人と申します。

わたくしが、訪問介護業界で独立し、大阪市西淀川区で訪問介護「こうのとり株式会社」を設立するにあたって、どのような経緯や想いがあって立ち上げたのか。

私の原点、そして『創業者の想い』に秘められたストーリーをお話しします。

話は、私が10歳の時に母を亡くした幼少期にさかのぼります。

介護に興味を抱く
幼少期~中学年

高齢者の優しさに触れて

生まれたときには祖父母がすでに他界しており、高齢者の方々と触れ合う機会が少ないまま育ちました。

幸いなことに、幼い頃は近所にご高齢の方が多く住んでいらっしゃって、まるで本当の祖父母のように可愛がっていただきました。

そのおかげで、一人っ子でありながらも孤独を感じることはなく、多くの人々の優しさや温かさに包まれて成長することができました。

福祉の体験イベントが契機


中学2年生の時、半年間にわたり生徒会活動を行いました。

その時に参加した「福祉ちょっと体験スクール」で老人保健福祉施設へ伺い、それをきっかけに介護の仕事に魅力を感じるようになりました。

お年寄りの方々から「ありがとう」と笑顔で感謝の言葉をいただくことに、大きな喜びを感じたことを覚えています。

翌年、再び「福祉ちょっと体験スクール」で此花区の社会福祉協議会に関わらせていただいたことで、高齢者支援だけでなく、「地域福祉」というより広い分野に関心を持つようになりました。

結果的に、6年ほどその活動に携わることになります。

かけがえのないこの経験は、今の私の価値観を築き上げる上で大切なものとなりました。

当時お世話になった担当者や、共に活動した仲間とは、今でも親しく交流しており、当時のことを懐かしく思い出します。

目標へ突き進む
高校生~専門学生

師匠のアドバイス

「介護福祉士の資格をとりたい」

平穏な高校生活の中、卒業後のビジョンを描き、目標に向かって突き進もうと思っていました。

しかし、師匠からのアドバイスがきっかけで、私の考えが変わります。

『河野君は僕と一緒で体が大きいから、腰を痛めた時は【介護福祉士』だけでは駄目だと思う
『せっかく学校に行くなら、【社会福祉士】を目指したほうが良い

私に福祉の礎を作ってくださった師匠は、「社会福祉士も目指すべき」とのこと。

経験豊富な先輩の助言は役立ちますし、学ぶことも多く耳を傾けるべきです。

将来について検討した結果、専門学校へ進学することにしました。

社会福祉士を目指して

社会福祉士となるため、専門学校の3年間の学業はもちろん、アルバイトや友人との交流も満喫して充実した日々を過ごしました。

とくに、同世代の友人と、福祉に対する思いを深め合ったことは、何物にも代えがたい時間でした。

福祉レクリエーション専攻での経験を通じて、イベントや企画に携わることの楽しさを実感し、それが私の得意分野になりました。

介護業界のキャリア開始

専門学校の時代では、以下のアルバイトを経験して福祉のキャリアをスタートしました。

・障がい者グループホーム
・ガイドヘルパー
・訪問介護のヘルパー
・有料老人ホーム

社会福祉協議会での実習期間中、区民祭りの会議に参加、またデイサービスではお年寄りとの交流を楽しみました。

地域の老人福祉センターへも同行させていただくなど、多岐にわたる活動を通して、地域福祉の広がりを体験しました。

ガイドヘルパーとして同行した際に、「ふうせんバレーボール」という競技スポーツを知る機会がありました。

ふうせんバレーボールを通じて、障がい者の方々を支援することの難しさや、共に喜びを分かち合う達成感を経験しました。

実は運動が苦手なのですが、初めて心から楽しめるスポーツに出会い、今でも親しんでいます。

専門学校卒業~就職

施設介護で経験を積む

専門学校卒業後、書道の先生(小学時代の習い事)に有料老人ホームのアルバイトを紹介していただきました。

その有料老人ホームで雇用形態を正社員に転換、社会人生活の第一歩を歩み始めました。

若かりし頃の自分は未熟な部分が多く、反抗的で手のかかるタイプだったと思いますが、優れたメンバーと出会い、チーム一丸となって仕事をしました。

そして、利用者様との関わりから、多くのことを学ばせていただきました。

「クオレ西淀川4F」での1年半は仕事の枠にとらわれず、同僚や利用者様との関係は「温かい家庭」という表現がしっくりくるような幸福な体験でした。

自分にとって理想のワークスタイルでした。

目標のために前に進む

日常業務を淡々とこなすうち、やがて今のフロアではなく、別のフロアに異動となりました。

その当時のわたしは、まだ若く浅はかで懸念事項が多い介護職員だったと思いますが、温かい同僚たちのおかげで共に成長を実感できる充実した日々を過ごせました。

3年が経過した頃のある日、現状維持では物足りず、常に成長を求めている自分の気持ちに気付きました。

この出来事を機に、21歳当時に描いた10年後の自分という将来のビジョンを改めて見つめ直すことになりました。

「21歳の頃、ぼんやりと描いていた『30歳でデイサービスを設立する』という目標」

職場環境には満足していましたが、今後はより高い目標に挑戦したいと思った結果、退職の手続きを済ませ、次のステップへ進むための準備を始めました。

転職から始まる転機

難航する転職と運命の電話


・24歳(若く活力がある)
・介護福祉士(国家資格あり)
・管理職希望(成長、貢献意欲が高い)

若さと資格、そして貢献したいという強い熱意が、私に絶対的な自信を与えていました。

しかし、初の転職活動は苦戦する結果になりました。

「自信満々に面接で喋る未熟でお調子者」と思われてしまったのか、思うようにいかず落胆しました。

ハローワークを利用しながら考え事をしていると、スマホの着信音が鳴りました。

「はい、河野です」
「河野くん、頼みたいことがある」

ふうせんバレーボールの時に知り合った「矢谷さん」からの電話でした。

「支援を希望している利用者さんがいるから手伝ってほしい」

話は困難を経て展望が開くように円滑に進み、わたしの訪問介護キャリアがスタートした瞬間でした。

地道な努力が夢へと繋がる

転職後、新興企業(※当時は創業3年目)ということもあり、最初の約1か月は活気に満ちた日々を過ごしました。

充実した日々の中でも、頭から離れない目標。入社時にお約束していただいた私の目標。

「1年後に管理者になる」

自分の立場が定まっていないからこそ日々邁進。入社してからの1年間は、目標のために多忙を極める毎日でした。

仕事ぶりが評価されたのか、あるいは役職に欠員があったのか、ただただ一心不乱だったので、なぜそうなったのか説明できませんが、入社後の約1年後、わたしは「管理者」になることができました。

管理職の責任を負うようになってからは、多種多様なトラブルや運営指導(実地指導)など、多岐にわたる障壁がございましたが、チームの協力体制を築いて困難を乗り越え、組織的に動けるように統括しました。

勤め先の経営状況は、ケアプランセンターを開設され、さらに安定していきました。

こうのとりが飛び立つ日

大きなプロジェクトを終えたことを機に、長年の仕事を通じて、自分を育んでくれた地域への恩返しを強く意識するようになりました。

転機を迎えた時、私を育ててくれた地域への感謝の念が込み上げました。

その感謝を事業という形で還元したい、そんな強い決意が当社の創業につながりました。

その思いを形にするため、2014年にこうのとり株式会社を設立し、地元での独立を果たしました。

この地域で育った私にとって、地元への恩返しは長年の夢でした。その思いを形にしたのが、こうのとり株式会社です。

「自分を育ててくれた地域に貢献したい」という創業者の思いが、当社のすべての活動の原点です。

こうのとり株式会社
代表取締役 河野一人